41-15=26

昨夜は幼なじみと夕飯を食べた。

毎年、お互いの誕生日のお祝いに

ランチまたはディナーを共にするのが慣しとなっている。

彼女とは15歳の時からの付き合いなので、はや26年。

普段はあまりやりとりはないけど、

たまに会うと必ず楽しい、そんな存在。

最初から「なんか気が合う」不思議な感覚だった。

 

この、

「なんか気が合う」

 

あるいは、

「いい子だけど、一緒にいると無理している自分を感じる」

 

40歳を過ぎると、やっと直感に気付けるようになり、

不特定多数の人と出会う中でこの差が分かるようになった。

万人と親しくなることには見切りをつけ

「なんか気が合う」という人と話をするのを楽しむ。

 

26年間の付き合いが続くこの幼なじみはもはや家族に近い。

たまにしか会わないこともいい。

独身の彼女と主婦の私とでは価値観にズレが生じてきた。

他の友達とはそれが原因で疎遠になった。

でも、彼女とはそれすら楽しめる。

 

「なんか気が合う」のは、その人の背景はまったく関係なく、

まさに「気」で判断しているので、

これ以上の基準はないよな、と思った。

 

一年に一度、とか、それ以上の間隔になることもあるけど、

それでも、「気の合う」人とは繋がっていられる。

 

これからもたくさんの人と出会うと思うが、

気長に「気の合う」感覚を待てるようになったので、

無理して「合わせよう」とすることがなくなり、

人付き合いが少しだけラクになった。

 合う人とは合う。

合わない人とは合わない。

ただ、それだけ。

合わない人ともそれなりに付き合える、

それが経験値。