最後のブログ更新から2年たっていた。

2年前は長男がサッカーやりたいと言っていた。
そして、そのサッカーを2年やりきり、明日が最後の練習日。
2年間、よくやってきた。
息子も私も。家族も。
いつの間にか次男も入部し、家族全員でサッカーに関わってしまった。

初めの頃は、先輩ママたちとどう関係を作るか、毎日こわごわ。
サッカーはもちろん、保護者間の色んなルールを少しずつ覚えていった。
6年生になり、保護者としてはひっぱる側になったけど、実質は入部1年のペーペーだから、その温度に自分で悩まされた。

サッカーに限らず、子供の習い事って、
結果がすべてでなく、その過程とか経験とか居場所とかがなんとなく大事で、
それは分かっていても、レギュラー外されるとこっちががっかりしたりムカついたり。

元々センスある方じゃなかったので、日々の努力で今のレベルまで成長できた。
長男のひたむきさと努力と真摯さはすごい。
でも、やっぱり試合で怒られてるのを見るのはつらい。

サッカーを通して私も色んな経験とか感情とか味わったし、指導者・保護者もすべて完璧な人ばかりでないので、いいことばかりじゃなかったけど、今振り返ると、特にこの1年は楽しかったなぁ。仲良くなれた人もいて今後も付き合っていける友達ができたのが本当に嬉しい。

6年生が卒団した後は、人数問題など課題が山積みで、どうなるんだろうという不安とどうにかしたいというやる気とどうにでもなれというヤケっぱちが毎日日替わりで押し寄せる。

いい人ぶらないように、苦労をわざわざ受け取らないように気をつけていく。

部が復活をとげても、廃部になったとしても、私も旦那も次男も、結果いい感じになると思うので、あまりヤキモキしないように。

明日は親子サッカー。
長男と思い出作ってこよう。




気がつけば「サカママ」

次男の卒園・入学の一大イベントに疲れ果て、

ホッとする間もなく、

長男が「サッカー部に入りたい」と言う。


5年からサッカーを始めることが

 

どんなに大変なことかと説得しても

 

気持ちが変わることが無さそうなので

 

旦那と家族会議を開く。

 

今後の生活が、

 

長男のサッカーを中心としたものに変わる。

 

私たちもその覚悟が必要。

 

本人のサッカーに対する資質は

 

はっきり言って、普通。

 

だから、レギュラーになれるかどうかも分からない。

 

それでも、ひたすらサッカーに付き合えるか。

 

週末の試合の車出し、お茶当番。

 

大変だと噂されているが、できるのか。

 

色々と話し合ったが、本人がやりたいというなら

 

しょうがない、親も頑張る。

 

という結論になった。

 

長男、性格は温厚。争いごとを嫌う。

 

小学校生活の残り2年。

 

気の強いメンバーの中で、どんな経験をして、

 

どんな風に成長するのか。

 

出来る限り、離れたところから、

 

見守ることにする。

 

 

 

へんな子

自分と同じような「母、妻、嫁、中年」な人に囲まれる中で生活していると、

それ以外のカテゴリの子に、カルチャーショックを受けることがある。

機嫌次第で「プイッ」とブスくれたりスリスリ言いよってきたり、

自分で爆弾しかけておいて、そんなの良くないって反旗を翻したり、

そういう子のことは大人目線では
「若いな〜」
「寂しがりなのね」
の一言で片付けられますが

なんか残るわだかまり。

まだ、「いい人」でいたい自分を感じる。

本人の問題なのだから、周りがあーでもないこーでもないと議論しあっても、何も変わらないけど、

ランチタイムで3時間かけて、噂話を本気でするのが主婦たるものなのだ。

へんな子は、主婦に楽しい時間を提供してくれる。


41-15=26

昨夜は幼なじみと夕飯を食べた。

毎年、お互いの誕生日のお祝いに

ランチまたはディナーを共にするのが慣しとなっている。

彼女とは15歳の時からの付き合いなので、はや26年。

普段はあまりやりとりはないけど、

たまに会うと必ず楽しい、そんな存在。

最初から「なんか気が合う」不思議な感覚だった。

 

この、

「なんか気が合う」

 

あるいは、

「いい子だけど、一緒にいると無理している自分を感じる」

 

40歳を過ぎると、やっと直感に気付けるようになり、

不特定多数の人と出会う中でこの差が分かるようになった。

万人と親しくなることには見切りをつけ

「なんか気が合う」という人と話をするのを楽しむ。

 

26年間の付き合いが続くこの幼なじみはもはや家族に近い。

たまにしか会わないこともいい。

独身の彼女と主婦の私とでは価値観にズレが生じてきた。

他の友達とはそれが原因で疎遠になった。

でも、彼女とはそれすら楽しめる。

 

「なんか気が合う」のは、その人の背景はまったく関係なく、

まさに「気」で判断しているので、

これ以上の基準はないよな、と思った。

 

一年に一度、とか、それ以上の間隔になることもあるけど、

それでも、「気の合う」人とは繋がっていられる。

 

これからもたくさんの人と出会うと思うが、

気長に「気の合う」感覚を待てるようになったので、

無理して「合わせよう」とすることがなくなり、

人付き合いが少しだけラクになった。

 合う人とは合う。

合わない人とは合わない。

ただ、それだけ。

合わない人ともそれなりに付き合える、

それが経験値。